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鬼小十郎まつり

鬼小十郎まつり
10月4日に宮城県白石市で行われた鬼小十郎まつり。
予想以上の人出で、写真を撮るどころではありません。
しかし、行ったからには少しは撮らない事には!と思い、頭の上にカメラを構え、ノーファインダーで撮りました。
殆どの写真は見るも無残でしたが、何とか数枚は見れる程度に写っていました。
赤い甲冑は真田幸村の軍勢。
鬼小十郎まつり
大阪夏の陣。
道明寺の決戦を再現したものです。

元和元年(1615年)大阪城に立て籠もった豊臣の遺児と家来たちを、徳川家康が攻め落とした、大阪夏の陣の時でした。伊達政宗は、徳川家康に味方して東軍に加わり、政宗の家臣片倉小十郎重長は病気の父景綱に代わって先陣を命ぜられて、敵将薄田隼人や後藤又兵衛ら大勢を討ち取り、敵味方を驚かす活躍をして“鬼小十郎”と呼ばれました。

 いよいよ大阪方の落城前夜、矢文をもって敵将・真田幸村から、「自分は豊臣へ恩いがあるので城と共に討ち死にするが、わが子まで道連れにする義理はない。今日まで見渡すところ片倉勢は敵ながら天晴れな戦いぶりであるのを見込んで、子女を託すので、わが亡き後は代わって養育を頼みたい」という申し入れがありました。やがて、闇にまぎれて陣の前にひそかに駕籠が押し出されました。中には白綾の鉢巻をして、白柄の長刀を杖にした美しい同じ年頃の若い娘2人がいました。敵ながら見込んで頼まれれば嫌とは言えず、重長は誰にも知れぬように国元に送り届けてかくまったのでした。1人は真田幸村の娘・阿梅(おうめ)の方で当時12歳。もう1人はお供の女で穴山小助という家来の娘でしたが、どちらが阿梅の方か分からぬようにしてありました。
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2009/10/07 22:01 | 祭りCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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